元自衛官芸人としてブレイク中のやす子。
常に迷彩服を身にまとい、数々の自衛隊ネタを披露したりと、大人気です。
ですが、その生い立ちについては本人も多くを語っていません。
あの明るい、ほんわかしたキャラクターからは、想像もつかない過去がありました。
母子家庭で育ち、学生時代は児童養護施設に保護される
やす子さんは、幼少期から高校時代まで、山口県宇部市で過ごします。
宇部で一番のお気に入りは常盤公園。小学生のときは常盤湖の用水路でオタマジャクシを捕まえたり、かくれんぼをしたり。中学は水泳部で、冬には遊歩道2周のトレーニングに励んだ。高校時代も春は満開のサクラ、秋はどんぐりを楽しみに行っていた。「ネコがたくさんいるスポットがあり、私の癒やしだった」と振り返る。
引用元:全国郷土史連合
何だか、悪くなさそうな感じなのですが・・。
やす子さんは、出演した「馬鹿よ貴方は、新道竜巳のごみラジオ」での対談の中、ラストに近い部分で新道さんの質問に答える形で自身の生い立ちについて語りました。
まず、父親のいない母子家庭で育ったとの事。
中学時代は、本人曰く「窮地に陥ったとき」母親に内緒で、児童養護施設で保護してもらっていたそうです。
この、「窮地に陥ったとき」の内容に関しては、新道さんもさらにツッコんでいましたが、
「ちょっと言えないですね~」
と、はぐらかしていました。
そして高校生になるとほぼ完全に児童養護施設で暮らすこととなったようです。
そもそも、児童養護施設ってどんなところなのでしょうか、その目的とは?
児童養護施設は、父母が死亡、行方不明になっている児童・父母などから虐待されている児童・父母が養育を放棄している児童を対象に、養護を行い、退所後も自立のための援助を行うことが目的の施設です。
引用元:ビヨンドトゥモロー
先述したように、やす子さんは児童養護施設で保護されることになった直接の理由を語っておられませんが、おおよそ上記のような内容だったと推察されます。
施設なんかに預けられて、かわいそうに・・。
と、多くの方は思うことでしょう。もちろん、私もそう思いました。
でも、やす子さんはその対談動画の中で、その時の心境をこう語っています。
「それまでの人生でいちばん良かった。やっと自分の居場所ができた」と。
これを聞いて、
「施設に入ったことがいちばん良かったと思うなんて、やっぱりかわいそうな子だな」
そう感じる方もいらっしゃることでしょう。
でもやす子さんにとっては間違いなく、生まれて初めての、落ち着くことのできる自分の居場所ができたのですね。
こんなふうに、やす子さんは何事に対しても常にポジティブなようです。
ところが、そんなやす子さんでさえ「すごくショック」な事件が起きます。
「便所飯」、「保健室登校」の学生時代が一番辛かった・・
当時、高校に通っていたある日、学校で教室にいる時に、先生が
「施設の人から連絡が来たよ~」
と大声で言ったのです。
それまではクラスメートたちに、施設に入っていることは内緒にしていたのですが、それでバレてしまい、ショックで学校に行けなくなってしまいました。行ったとしても、保健室登校が精いっぱいという状況だったようです。
それに実は、その前にも別の「事件」があったのです。
やす子さんは学校で、とある女子のグループに入っていて、お昼を一緒に食べたりしていました。
ある日、その中の一人の子が、やたらと愚痴ばかり言うのが嫌になり、やす子さんはその子にちょっとくぎを刺すようなことを言ったのですが、その日を境にそのグループから除外されてしまい、お昼はトイレで、いわゆる「便所飯」を食べるようになったのです。
ただでさえ辛い思いをして過ごしていた学校での時間、ある意味とどめを刺されてしまったような感じだったのかもしれません。
中・高校時代が一番キツかった・・と語っておられました。
驚くべきは、そんな逆境の中、スポーツで優秀な成績を残しているやす子さん。
中学時代は水泳部に所属、市の大会では200mバタフライ1位、800m自由形で3位となり、県大会にも出場しています。
高校に入ってから始めた柔道でも、部長を務め、黒帯を取るまでに!
(あ、やす子さんの本名は安井かのんです)
後に自衛官になるやす子さん、そのことを見据えてあらかじめ柔道で鍛えておこうと思っていたのでしょうか・・!?
本当は大学に行きたかったみたいですが、その施設から大学に行った人は過去にいないという理由であきらめたのだそうです。いずれにせよ、向上心に溢れていますね!
高校卒業後、自衛官→東京で就職→お笑い芸人へ
やす子さんがいた児童養護施設は、原則18歳になると出ていかなければなりません。
やす子さんは高校卒業後、自衛官となりますが、その理由についてこう語っています。
私は母子家庭で育ちまして、かなり貧乏でした。それで自衛隊は衣食住が全部揃っているので、安定した生活を得たいという思いが強くて入隊しました。
引用元:エキサイトニュース
制服のお下がりは当たり前、水泳部の時は同じ水着を3年間着たり、修学旅行代も学校の先生に出してもらったりしたやす子さんが、まずは何より衣食住の安定を求めたのは自然なことと思われます。
とは言え自衛官としての日々は過酷で、一番辛かったのは真夏の山道40キロ行軍、重りを担いで男性隊員たちに混ざってひたすら歩き続けたことだと言います。
そんな中でも持ち前の前向きな姿勢で、女性では珍しいブルドーザーの免許を取ったりしながら頑張っていました。とりあえず、4年は勤めて退職金を貰ってから辞めるつもりだったそうです。
ところがある日「天からの声が聞こえて」、前を歩いている上官に駆け寄って辞職の旨を伝えたそうです。その結果、2年での退職となりました。
その後、「日本の中心に行きたい」という動機で、東京に行って清掃会社に就職します。
その会社で社員として働いていた時に、芸人を目指していた友人に誘われ、お笑いを始めたということのようです。
あれほどまでに衣食住の安定を求めていたやす子さんでしたが、何だかだんだんと自由な生き方へとシフトしていってるんじゃないかな、と感じました。
複雑な環境で育ち、学校では辛い日々を過ごし、自衛隊では過酷な訓練。
数々の修羅場をくぐってきたやす子さん、ある意味、
「何をやっても生きていけるんじゃないか」
という自信のようなものがついたのではないでしょうか?それで、ある時期から好きに生きてみよう、と思ったのではないか、と。
芸人になった経緯はともかくとして、お笑い芸人としてブレイクして過ごす今の日々が
「これまでで一番楽しい」
と話すやす子さん、その生きざまには多くのことを学ばせていただいた次第です。
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